現代住宅併走

2021年 夏号梁を挟む
作品/「旧井上房一郎邸」
原設計/アントニン・レーモンド
文/藤森照信
写真/普後 均(アントニン・レーモンドのポートレイトを除く)


レーモンドの木造は、日本の建築家に大きな影響を与えたことで知られるが、なかでも戦後の昭和26(1951)年につくられた麻布笄町の自邸兼事務所は、ちょっと変わった波紋を周辺におよぼしている。自邸と事務所が隣り合う施設だから関係者しか入らないし、もし普通の人が入っても丸太造りの仮設建物にしか思えなかったにちがいないが、専門家が見ると、誰でもほしくなるような質を秘めていた。
ほしいと思い、手に入れた人が少なくとも3人はいる。まず高崎の建設会社オーナーにして地元文化のパトロンだった井上房一郎が、できたばかりのレーモンド邸を訪れて感動し、図面を貸してもらい、大工を麻布に差し向けて詳細を調べ、昭和27(1952)年、そのまま高崎の自邸として実現している。
次は建築家の津端修一で、大学卒業後、完成したばかりのレーモンド事務所で働き、その後、住宅公団に移り、さらに愛知県高蔵寺に自邸を建てるにあたりそっくり写している。もうひとつ、設計者不明なれど、レーモンド邸木造を使った家を、代官山で見かけたが、今は取り壊されてない。
津端邸はこのシリーズの2013年春号で取り上げ、今回は井上邸を訪れた。かつて高崎時代のタウトについて井上さんに聞いた折、家も見ているが、ちゃんと探訪するのは初めて。
案内してくれた高崎市美術館館長の塚越潤さんによると、高校時代、美術の時間にみなでキャンバスに向かっていると、先生がいるのに突然、見知らぬおとなが入ってきて描き方の指導をするので面食らった、という。それが、絵描きを目指してパリに1923年、留学しながら、帰国後は家業を継いだ井上房一郎だった。
高崎時代のタウトについて井上さんは、「頼まれてタウトの支援はしたが、建築家としてのタウトに興味はなく、パリ留学時にその活動を知ったル・コルビュジエのほうが好きだった」と述べられていた。井上が戦後すぐレーモンドを評価し、高崎の文化施設をまかせたのも、ル・コルビュジエとレーモンドの建築はひとつの流れに属するからだ。



さて、久しぶりの井上邸である。
これだけ空間のボリュームがあるのに、軽やかに感じるのは、構造が鉄筋コンクリートや鉄骨ではなく木造のおかげだが、しかしもし同じ木造でも角材を使った木造ならもっと重くなったにちがいない。杉丸太の効果に加え、半割の杉丸太の投入がその効果を極限まで高めている。半割は丸太より細いし、丸太を半割で挟むことで、細いがしかし強靱な視覚的印象が生まれる。
かねて、レーモンドに想いを寄せる建築家のあいだで、半割杉丸太による“挟み梁”がレーモンドの創出なのかどうかが話題になってきた。近年、東洋大学の内田祥士教授の研究により、日本の仮設用構造として昔からあり、建築家では武田五一が注目していたことが明らかになっている。武田は、モダンな設計活動のかたわら伝統的社寺の設計や法隆寺の改修なども手がけているから、そうしたなかで見知ったのだろう。


由来は日本の伝統的な建設足場や仮設建物としても、それをヨーロッパの木造教会の架構に想を得て山形に組み立て、大きな空間を生み、モダンに仕立てあげたのはレーモンドならではの独創と評していい。
この構造の生む空間的効果をより高めているのは床の造りであることに、このたび、初めて気づいた。もし、普通の日本の木造のように玄関のところで一段上がり、床を張っていたら、こう伸びやかに感じられなかったろう。コンクリートの土間とし、今はじゅうたんを張っている。
木造の小屋組はどうして土間とよく合うんだろうか。このことに初めて気づいたのは、伊豆の巨大民家「江川太郎左衛門邸」(1600年頃)を訪れ、土間に一歩入り、森を下から見上げたときのように材が茂る小屋組に接したときだが、今こうあらためて考えると、上方の木と下の土が、自然界の森の中でのように共鳴しているからではないか。もし、普通の民家のように小屋組が太くかつ黒ずんでいれば、上の木と下の土の共鳴は、重く暗い方向へと向かうが、杉丸太、それも磨いた杉丸太の小屋組は「重く暗い」の反対の「軽く明るい」へと反転し、モダンな空間が生まれた。なお、レーモンド自邸の普通の杉丸太に“磨き”の加工を加えたのは井上で、いい判断と思う。


もうひとつ、効果をあげているのは障子。レーモンドは、障子のような伝統の木造建築のなかのモダンな要素を日本人に教えたのは自分だ、としばしば述べていたらしいが、この点について吉村順三は、「障子など、いくつも私がレーモンドにそのよさを教えた」と私に語っている。レーモンドが障子に認めたのは、“淡い光を放つ四角くて薄い面”という障子だけがもつモダンな特質であって、決して日本の伝統だから取り込みたかったわけではないことを忘れないようにしよう。
写真をザッと眺めていると気づかないが、部屋の中心の暖炉も見落とさないでほしい。
近年、私は、住宅の起源は火にあり、火のまわりに人が集って内部空間が生まれ、その火と人からなる内部を守るために住宅が必要になった、と考えている。モダニズム住宅への火の投入は、ライトに始まり、レーモンドが続き、吉村順三に引き継がれている。
日本には木造モダニズムというすぐれた一群があり、藤井厚二をスタート点として、レーモンド、前川國男、丹下健三、吉村順三、増沢洵、彼らの木造建築が戦前から戦後にかけて連綿と続き、そのなかの最重要作はレーモンドの昭和8(1933)年の「軽井沢夏の家」とみなしてきた。この判断はまちがっていないが、このたびこの作品を探訪して、18年後の戦後の挟み梁の「レーモンド事務所兼自邸」(51)も、“最”は付かないにしても重要作品と確信した。建築のわかる人なら誰でもほしくなるような住宅なんてめったにありはしない。


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アントニン・レーモンドAntonin Raymond
1888年オーストリア領ボヘミア地方(現チェコ共和国)に生まれ、プラーグ工科大学(現チェコ工科大学)に学び、アメリカに渡る。フランク・ロイド・ライトとともに帝国ホテル建築のため来日し、1923年独立。そのもとから前川國男、吉村順三などが育ち、日本の20世紀後半の建築界をリードする一大人脈を形成した。世界的にみると、オーギュスト・ペレに続いて打放しコンクリート表現をリードし、コルビュジエもこと打放しについてはレーモンドをパクったと私はにらんでいる。76年逝去。
ポートレイト:㈱レーモンド設計事務所提供 -
藤森照信Fujimori Terunobu
建築家。建築史家。東京大学名誉教授。東京都江戸東京博物館館長。工学院大学特任教授。おもな受賞=『明治の東京計画』(岩波書店)で毎日出版文化賞、『建築探偵の冒険東京篇』(筑摩書房)で日本デザイン文化賞・サントリー学芸賞、建築作品「赤瀬川原平邸(ニラ・ハウス)」(1997)で日本芸術大賞、「熊本県立農業大学校学生寮」(2000)で日本建築学会作品賞。