古写真でみる建築家のアトリエ

1878年のプンティ工房の様子。中央にアントニ・ガウディが座し、右にプンティの姿が見える。工房らしく広々とした土間で、天井も高い。 所蔵/Arxiu Càtedra Gaudí.ETSAB-UPC.

2022年 春号あのガウディを生んだ、プンティ工房

古写真を発掘し、昔の建築家のアトリエをのぞく。
この場所で、名作が生まれた。

  • アントニ・ガウディ・イ・クルネットAntoni Gaudí i Cornet

    アントニ・ガウディ・イ・クルネット氏の画像
所蔵/レウス博物館

コメーリャ手袋店ショーケースのガウディ直筆の図面。左から長手立面図、短手立面図と平面図の順に描かれている。

たくましい職人たちを総動員することができる環境で、設計活動をスタートさせた。

コンコン。
「ごめんください。ここに万博で展示されていた手袋店のショーケースをデザインした建築家はいらっしゃいますか。私は、グエルという者です」
「おーい。アントン! お客さんだ」
「はい、ただいま。こんにちは。私がその建築家です。アントニ・ガウディと申します。どんなご用件でしょうか」

ここはスペイン・バルセロナにあるプンティ工房。センドラ通り8番。これはグエル伯爵が1878年パリ万国博覧会のスペイン会場におけるカタルーニャ部門にて展示されていたコメーリャ手袋店のショーケースをたいへん気に入り、そのデザイナーを訪れてきたという一場面である。コメーリャ手袋店ショーケースは、ガウディが最初にデザインした展示什器のことだ。そのデザインは木製の土台にスチールフレームで構成された6面ガラス張りのモダンなデザインであった。周囲に陳列された展示什器はゴテゴテした古典的な装飾で覆われていたのに対し、ガウディは展示什器を装飾するのではなく、展示物である手袋の装飾に目が行くように配慮した。そのシンプルなデザインに惚れ込んだグエル伯爵が、その建築家に会いにわざわざ工房まで訪ねたのである。これがガウディとグエルの出会いであり、グエルの狩猟用別荘計画案(実現されず)、グエル酒蔵、グエル別邸、グエル邸、グエル公園、コロニア・グエル教会とガウディの代表作が生まれる土壌ができた。

雑誌に掲載された、パリ万国博覧会におけるスペイン会場の展示風景のスケッチ。

 ところで建築の名作は建築家ひとりの力では生まれない。建築家に全幅の信頼を置く建築主と、建築家の構想を実現する施工者の三者がいて初めて生まれるものである。
 その点、ガウディは恵まれていた。大学卒業後、自らのアトリエを構えず、市内にあったプンティ工房に間借りしながら設計活動を開始した。タラゴナ県レウス市にある銅板器具職人の家庭に生まれ、職人に囲まれて育ったガウディは、身寄りのない大都会で働く仕事場として、おそらく経済的余裕がなかったことから事務所を構えずに、さまざまな職人が出入りする工房を自らの活動拠点に選んだのである。
 プンティ工房は、エウダルド・プンティという家具職人が開設した工房であり、鍛鉄職人、ガラス職人、石こう職人、木工職人、左官職人らをかかえ、コメーリャ手袋店ショーケースもここで製作された。ここに1枚の写真(左ページ上)が残されている。中央に正装した青年がガウディ。その右にいるのがプンティである。そして、その後ろにはここに出入りしていた30人ほどのたくましい職人たちが、ガウディ青年を囲んでいる。彼らが初期、中期のガウディ建築の名作をつくり出した。ガウディは晩年に「私の唯一の長所は、私のもとで働いている人々の一人ひとりが仕事を十分にできるよう、彼らの能力を引き出すことにある」と述べていたように、プンティ工房の職人のもつ技術を最大限発揮させる術をここで鍛えていったのだろう。コメーリャ手袋店ショーケースは、まさに鍛鉄、ガラス、木工の職人技術の結晶である。ガウディと工房の関係は仕事をこなすごとに深まり、グエル邸でピークに達する。革張りの腰掛け椅子の家具にはじまり、木製建具やガラス扉の建具、複雑な幾何学形状の木製格子天井までプンティ工房のありとあらゆる力と技術を総動員して内装をつくり上げた。グエル伯爵が秘書にお金に糸目を付けずにやれと命じたほど、この建築はガウディの建築のなかでも群を抜いて空間の密度が高い。グエル邸はまさにガウディと工房による最高傑作なのである。

プンティ工房で製作されたガウディのライティングテーブル。木工加工と鉄造作が統合されたデザイン。1936年の市民戦争で焼失してしまった。

 ガウディの建築のつくり方には現代的な側面もあった。設計者と施工者が分かれた体制ではなかった。端的にいうと、構想段階から原寸に至るまで同一人物が携わっていた点で、BIMなどが目指す設計施工一体の製作フローに近しいものがある。それはこの約30人の職人集団が構想から施工までを担当していたからこそできたつくり方だ。
 ここで長く働いた後に、ここで知り合った生涯の右腕となる彫刻家のリョレンス・マタマラを引き連れて、ガウディはサグラダ・ファミリアのアトリエへと仕事場を移した。プンティ工房なくしてガウディなし。バルセロナに生まれた数々の名作は、30人の職人集団から生まれたのである。

グエル邸の内観写真。間仕切りの装飾から家具まで、プンティ工房の職人が施工、製作している。

  • アントニ・ガウディ・イ・クルネット氏の画像

    アントニ・ガウディ・イ・クルネットAntoni Gaudí i Cornet

    1852年スペイン、カタルーニャ州タラゴナ県レウス市内で生まれる。銅板器具職人の家庭に生まれ育つ。建築学校の予科のためにバルセロナに移住したのが17~18歳のとき。78年に大学を卒業してすぐにプンティ工房を拠点に設計活動を始める。83年にサグラダ・ファミリアの二代目建築家に就任し、90年頃、聖堂建設現場の敷地内にレンガ造2階建ての事務所を構えた。98年に一度増築し、1906年までにはさらにもう1棟を建設した。プンティ工房を出てからは、すべての建築がこの聖堂敷地内のアトリエで設計されている。26年逝去。
    所蔵/Arxiu Càtedra Gaudí.ETSAB-UPC.

  • 山村 健氏の画像

    山村 健Yamamura Takeshi

    やまむら・たけし/1984年山形県生まれ。2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。06年バルセロナ建築大学留学。09年早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。12年同大学院博士後期課程修了。12~15年ドミニク・ペロー・アルシテクチュール勤務。16年YSLAArchitects設立。早稲田大学専任講師などを経て、20年東京工芸大学准教授。博士(建築学)、一級建築士。